モンゴルへの旅(4)
こんにちは、相談員の平野です。
「ご来店施術」の方で、6月に、ご夫婦で「モンゴルへ10日間の旅」に行ってこられた「大坪様」の、話の続きをしましょう。 ・・・ シリーズの最終回になります。
大坪様ご夫妻は旅行中、モンゴル国立大学で日本語を学習されている、学生達との文化交流と、日本人「慰霊碑」に墓参をされておられます。
その時のお写真も、たくさん頂いているのですが ・・・・・
誠に勝手ではございますが、人物が映っている写真の提供は、差し控えさせて戴きました。
1枚目は、大学内での交流で、「茶道を披露された時」の写真です。
今回のご旅行に、ご夫妻と同行されて、ご指導をされた先生のお顔が写っていませんが、失礼を承知で選ばせて頂きました。 ・・・ ご了承ください。(泣)
「外国で、生まれて初めて、茶道の“正客”(茶会に於けるメインゲスト)を私めが、演じました。」とのコメントも頂きました。
その時は学生さん達も、和装(浴衣)で茶道を体験されたとの事ですよ。
この沈黙の儀式が学生さん達には、えらく新鮮だったとかで、感想をきくと 「正座が辛かった。」 そうです。(笑)
その他に、「折り紙も一緒に楽しみました。」との事です。・・・ 楽しそうなお写真でした。
これらの写真も、皆さんのお顔が写っていますので、お見せできないのが残念です。(泣)
尚、写真の鉄釜は、皆様が“手荷物”で、大阪の熊取からはるばるモンゴル国立大学まで、一式を持参されたとの事でした。
これが又えらく“重たかった”そうで、「鉄釜を電気ポットで、代行しないところが茶道です。」とのコメントも、頂戴いたしました。
2枚目は、モンゴルにある日本人「慰霊碑」に、墓参をされた時の写真です。
戦後の「シベリア抑留」の事は、良く知られているのですが、「モンゴル抑留」の事は私も含めて、あまり知られていないと思います。
シベリアだけでなく、終戦後多くの日本人がこのモンゴルの地にも留め置かれ、沢山の人が1946年~47年にかけて、強烈な望郷の念に苛まれつつ、死んでいったそうです。
「慰霊碑」の傍にある「モニュメントの台」には、「一条の線」が引かれているとの事でした。
そして、その延長線上の彼方には ・・・・・ 母国! 日本がある!
「慰霊碑」の前に立ち、静かに瞼をとじて ・・・・・ 心の中でこの曲を歌い、哀愁に浸っておられたそうです。
♪ 今日も暮れ行く異国の丘に 友よ辛かろ 切なかろ 我慢だ待ってろ
嵐が過ぎりゃ 帰る日も来る 春が来る ♪
冒頭でもお伝えしましたが、このシリーズも今回で最後になりました。
このブログに、写真のご提供と、コメントのご協力をいただいた「大坪様ご夫妻」に、心から感謝を申し上げます。
大坪様、ありがとうございました。